山本二三の生い立ちや経歴は?制作に関わったアニメは?

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こんにちは、しゅげちです。

スタジオジブリ作品の美術監督などを務めた山本二三(やまもと にぞう)さんをご存知でしょうか?

山本二三さんは「二三雲」とよばれる立体的でとても迫力のある印象的な雲を描くことで有名で数々の名作アニメーション映画の美術監督をされていました。

今回は「山本二三の生い立ちや経歴は?制作に関わったアニメは?」と題して

・山本二三さんの生い立ち、経歴は?

・どんなアニメの制作に関わったの?

こちらを調査してみました!

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目次

山本二三の生い立ちは?

山本二三さんの生い立ちはこちらです▼

名前山本 二三(やまもと にぞう)
生年月日1953年6月27日
年齢70歳
出身地長崎県五島市(旧・福江市)
出身小学校不明
出身中学校不明
出身高校岐阜県立大垣工業高等学校
最終学歴東京デザイナー学院(現・東京ネットウエイブ)
職業・アニメーション美術監督
・アニメーション監督
・背景美術会社/絵映舎(かいえいしゃ)代表
・東京アニメーションカレッジ専門学校講師
・京都造形芸術大学アニメディレクションコース客員教授
・五島市ふるさと大使

山本二三さんは1953年6月27日に長崎県五島市(旧福江市)に生まれ、海に囲まれた自然いっぱいの環境で育ち活発に遊びまわる少年時代でした。

山本二三さんのご実家は農家だそうで、幼い頃は畑仕事や牛の世話、野菜をリヤカーに乗せて町まで売りに行く手伝いをしていたそうですよ。

山本二三さんは子どもの頃から絵が得意で、この頃から将来は絵の仕事がしたいと思っていたそうである日中学校の体育館で見たアニメーション映画に「こんなきれいな世界があるのか」と衝撃を受けたそうです。

この時のアニメーション映画は「わんぱく王子の大蛇退治」という作品で助監督が高畑勲さんでした。

地元の中学校を卒業後、1人島を出て岐阜県立大垣工業高等学校で建築と絵画を学びました。

高校卒業後は上京して東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)へ進学。

在学中からアニメーションの背景画の会社に勤め、アニメーションの仕事を手がけるようになります。

東京デザイナー学院卒業後は、東映系の美術スタジオを経て日本アニメーションに入社します。

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山本二三の経歴は?

日本アニメーション入社後の山本二三さんの経歴はこちらです▼

1977年(24歳)宮崎駿監督と出会いテレビシリーズ「未来少年コナン」で初めて美術監督をつとめる。
1977年(26歳)テレコム・アニメーションフィルムに移籍し「ルパン三世 カリオストロの城」の背景を担当、映画「じゃりン子チエ」の美術監督をつとめる。
1985年(32歳)宮崎駿監督に誘われ「天空の城ラピュタ」の制作に参加するためにスタジオジブリ入社。
その後も高畑勲監督や宮崎駿監督監督作品の多くに美術監督や背景として参加する。
1990年山本二三の事務所「シネマ・アート・クラブ」を創設
1991年事務所を「絵映舎(かいえいしゃ)」と改名
2005年有限会社「絵映舎(かいえいしゃ)」を創設
2006年(53歳)アニメ映画「時をかける少女」で第12回AMD Award’06対象/総務大臣賞を美術監督として受賞。
2007年(54歳)フジテレビ系土曜プレミアムにて放送された『ミヨリの森』で長編初監督。
2011年7月から9月に「神戸ビエンナーレ2011」プレイベント「日本アニメーション美術の創造者 山本二三展」が開催され、来場者8万5千人を記録。
2018年7月1日、故郷の福江島に山本二三美術館が開館。

1997年に「もののけ姫」の制作に携わった後に完全燃焼したと感じ、スタジオジブリを辞めて埼玉県飯能市に引っ越しますが「千と千尋の神隠し」で再びスタジオジブリに復帰しました。

『もののけ姫』で完全燃焼したので、引っ越しをして環境を変えようと、眺めもよく条件も合った現在の土地に自分で設計図を描き、家を建てました。それからジブリを辞め、この自宅のアトリエで仕事をするようになりました

一度ジブリを辞めたものの呼び戻され『千と千尋の神隠し』の背景は、なんと飯能のアトリエで描かれたそう。その後も『天気の子』の背景画など多くの絵がこのアトリエから生み出されました。

はんのーと

二三雲とは

山本二三さんといえば雲ですがいつ頃から描いていたのでしょうか?

雲を描くようになったきっかけは「未来少年コナン」だったそうで、乗り物で空を飛ぶシーンが多くて沢山の雲を描いていたそうです。

その時に宮崎駿監督から「積乱雲を何枚か重ねて雲の流れを表現してくれ」と言われたりして色々な雲を描くようになったようです。

色々な雲を描き続けて「天空の城ラピュタ」であの迫力のある雲が誕生し、二三雲へと繋がるんですね。

2006年の「時をかける少女」で美術監督をつとめた際に細田守監督から「天空の城ラピュタのあの雲を表現してほしい」と要望を受けてその時に描いた雲が特徴的で迫力のある夏の空を印象づけるシーンとなり、後に「二三雲」と呼ばれるようになりました。

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山本二三が制作に関わったアニメは?

山本二三さんがジブリアニメの制作に関わったのは有名な話ですが、他にはどんなアニメの制作に関わってきたのでしょうか?

未来少年コナン1978年/初美術監督
赤毛のアン1978年/背景
ルパン三世 カリオストロの城1979年/背景
ルパン三世(TV第2シリーズ)1980年/背景
火の鳥2772 愛のコスモゾーン1980年/背景
じゃりン子チエ(劇場版)1981年/美術監督
さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅1981年/背景
天空の城ラピュタ1982年/背景
名探偵ホームズ1984年/美術監督
火垂るの墓1988年/美術監督
それいけ!アンパンマン ばいきんまんの逆襲1990年/背景
おもひでぽろぽろ1991年/背景
耳をすませば1995年/背景
もののけ姫1997年/美術監督
CLOVER1999年/美術監督
千と千尋の神隠し2001年/背景
あらしのよるに2005年/背景
劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者2005年/背景協力
時をかける少女2006年/美術監督
ミヨリの森2007年/初監督
GLAY 「Je t’aime」2010年/背景
ばらかもん2014年/公式サイトのキービジュアル・アートワーク
天気の子2019年/気象神社絵画・天井画

スタジオジブリの作品だけでなく、新海誠監督や細田守監督の作品、小さな子が大好きなアンパンマン、人気コミック作品など多くのアニメ制作に関わっていました。

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まとめ

今回は「山本二三の生い立ちや経歴は?制作に関わったアニメは?」と題してお届けしました。

山本二三さんは長崎県五島市(旧福江市)の自然豊かなところで中学卒業までを過ごし、その後は高校で建築や絵画の勉強をして上京後は専門学校へ通いながらアニメーションの仕事にも関わるようになります。

スタジオジブリを辞めてからは、五島市に似ていると感じた埼玉県飯能市に引っ越してそのアトリエでも沢山の作品に関わってこられました。

スタジオジブリ作品で見る、どこか懐かしい風景は山本二三さんのふるさと五島市や後に引っ越された飯能市の風景を参考に描かれているようですね。

「未来少年コナン」をきっかけにその後は多くのアニメーション作品の制作に関わり、「天空の城ラピュタ」や「時をかける少女」で描いた雲が「二三雲」と呼ばれるようになりました。

最後までご覧いただきありがとうございます!

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